第III章
音楽表現のためのパッセージ


記載 / 2016年2月11日
★第III章全体に関係しますが、敢えて言えば「4.作品へ繋げるヒント」

やっと1996年3月19日の発表会「練習曲へのお誘い」のカセットテープから、関連のありそうな音源をほんの数箇所コピーしました。私の機械操作も下手(重ねて、発表会当日は原稿も楽譜も無し…マイクを取ったり置いたり、という音が入る当時)、うまくピンポイントに絞れていないかもしれませんがアップロードします。

プログラムはブログにも載せましたが下記。

クリックで拡大されます
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(情報漏洩につき名前は修正テープで消しました。プロアマ問わず小・中・高・大・院・社会人達)

 チェルニー30番練習曲の第17番が弾けたら悲愴ソナタのここが弾ける

 チェルニー40番練習曲の第27番が弾けたら「悲愴ソナタ」のここが弾ける

 チェルニー30番練習曲の第24番が弾けたら速いシンコペーションが弾ける

 リストはチェルニーの弟子で…
  生徒の名前を消すためにトラック新しく。次は一続き。(情報に敏感な世の中で・・・)
 リストはチェルニーの弟子で…の続き

 チェルニーの練習曲は長調ばかりで短調は僅か、の話

 チェルニー40番練習曲第16番は「菩提樹」の前奏のように

 生徒による、チェルニー40番練習曲第16番の演奏
  とても美しく弾いてくださったので、名前は書かないという条件で此処に載せる許可を得ました。



記載 / 2013年11月06日
★「ピアノと向きあう」第III章 音楽表現のためのパッセージ 2.何故チェルニーか
前日への追記です。
メトロノームを使ってのチェルニーの練習ですが、やはりフレーズの変わり目、段落部分、長いパッセージの頂点などでは、仕上がりのテンポになったら(全くの一例ですが、160のテンポが144を超えるレベルになったら)、僅かながらテンポは感情によって揺らしてさらうべきだと思います。思い付きで音楽的な僅かな緩急を楽しむ練習です。そうでないと「非音楽的に弾く為の練習」になってしまいます。
どんなに速いテンポでも、数字のまま最後まで弾き切る練習をすべきチェルニーの練習曲は;
毎日の練習曲(Czerny:40 Tägliche Übungen Op.337)
60番練習曲(Czerny:Die Schule des Virtuosen Op.365)
以上だけだと思っています。


記載 / 2013年11月05日
★「ピアノと向きあう」第III章 音楽表現のためのパッセージ 2.何故チェルニーか
又しても第78ページ、真ん中から下にかけての「メトロノームの数字」の話です。
チェルニーの数字は不可能ではないか?と度々頂くご意見の他、当時のメトロノームは構造が違って、倍速かったのではないか?とのご意見に対して。

決してそんなことはなかったと思います。
1点言えることは、当時のピアノという楽器の鍵盤の下がる深さです。
現代のピアノは「1cm」が規格された深さです。海外製の中には9mmや9.5mmのものもあります。
ところが、チェルニーの時代、つまりベートーヴェンが活躍していた時代には深さが4mmのピアノ、6mmのピアノ等が混在し、規格が無かったはずです。どうでしょうか、1cmの深さを往復する指と6mmを往復する指の速度を比較してみてください。それは現代に於けるパソコンの、凹凸のあるキーボードと、ノートパソコンの殆ど凹凸のないキーボードのようではありませんか?
私の場合は、ですが、凹凸の殆どないノートパソコンを日頃使用している為、何かで外付けの凹凸のある(カシャカシャと音を立てて上下するような)キーボードでは、打つのが何倍ものろくなったような気すらします。
当時のピアノは、まさにこのノートパソコンのキーボードのような「浅さ」が故、往復に手間取らなかったのではないか?尤もまだウィーンメカ、或いはそれ以前のメカで、現代のようなダブルアクションではなかったので「連打」は難しかったと思いますし、圧力も大きかったとは思います。それでも「浅い」鍵盤です。そのようなピアノで弾いていたベートーヴェンであり、彼の作品を弟子たちが弾けるように、と多大な量の練習曲です。ベートーヴェンの精神を表現するためのテンポであり数字ではないでしょうか。現代のピアノが重くても、そこは何とか練習で乗り切るべきなのではないか?と思います。
ただ、現代と当時は生活のテンポが違いました。交通手段も違います。忙しさも違います。深夜まで灯りの下で仕事の出来る、いや、やらなくてはならない現代の生活ぶりを、当時の作品に過激に反映させることだけは避けるべきかもしれません。


記載 / 2012年08月08日
★「ピアノと向きあう」第III章 音楽表現のためのパッセージ 3.チェルニー30番を中心に
第80ページより「1回掛けた重さの中で音群を弾く」動作を矢印で示しました。
これに関して大きな誤解を受けること屡々です。
矢印は、数学のグラフのように、縦はy軸的な書き方にて重さのかかる方向(↓は上から下にかかる、↑はかけた重さが抜ける方向)、横はx軸的な書き方にてプラス方向は時間の経過を示して書いております。楽譜は常に左から右に時間が流れます。
例えば第80ページの第1番で、第1拍目と第3拍目の下向きの矢印は、そこで重さ(箇所によっては手、前腕、上腕も)が下向きにかかることを意味しており、その間の斜め上に上がる曲線の矢印は徐々に重さが抜けて行くことを示しています。決して手や腕そのものが斜め右上に上がって行くことを示している訳ではありません。
勿論、チェルニーではなく、もっと手の拡張を要するような、全腕の回転を使う曲では「重さの矢印=腕の動き」になる場合もありますが、このチェルニー30番練習曲での譜例に於ける矢印は、重さのup-and-downによる「補助動作」を時間の経過と同時に示せるように矢印で記しました。

記載 / 2012年07月28日
★「ピアノと向きあう」第III章 音楽表現のためのパッセージ 2.何故チェルニーか
第78ページ 真ん中から下にかけてのテンポの話

「メトロノームの数字は『理想』ではなく『現実』です」や「《30番練習曲》に指定されているテンポは決して無理ではありません」との言葉を鵜呑みにされた訳ではないと思いますし、以前から「不可能なテンポで弾く」多くの例に出くわします。
上記はとても大切な練習曲の目標ではあります。けれども1本ずつの打鍵もいい加減なまま、鍵盤の底を感じることもない弱い打鍵しか出来ず、つまり「生まれ持ったままの指による強さの違い」から、均等に音群を弾けないうちにテンポばかりを上げて弾くことは甚だ残念です。それは「一足飛び」というものです。
まずは【A】と【B】のタッチで指のトレーニングをしましょう。どの指も独立し、隣接する指の反復(特に3−4、4−5、3−4−5)が、どれも不自由なく弾けることと並行してテンポアップして頂きたいです。つまりは「楽々弾ける速さ」から始め、トレーニングと共に徐々に「楽々弾ける速さ」そのものがテンポアップしていくことが望ましいです。
第80ページにも、「念を押しますが、ここからは【A】と【B】での練習が前提にあるものとして話を進めます」と記載しました。その辺りから始まっている「補助動作」(重さのup-and-down)の説明も、先ずは指がしっかり打鍵出来た上での話となります。勿論余計な力は全部抜き、使う指の定着以外は脱力を常に意識した上で、自分の出している音が力んだ音であるか、遠くまで澄んで届く音か、身体の緩み具合も確認しながらの練習となります。

それらを念頭に置き、その先もお読み頂けますように。
練習曲を表情豊かに弾けるように、「指のトレーニングから芸術作品への橋渡し」として使う為にも、まずはどの指も均等に打鍵出来ることが前提となります。




チェルニーの練習曲について、1996年3月19日に行った生徒たちの「練習曲へのお誘い」の中でのレクチャーコンサートや、2007年12月2日に行った「カール・チェルニー 没後150年を記念して」とのタイトルのレクチャーコンサートなど、記録音源があります。
何故チェルニーを幼い頃に一通り練習しただけではなく、再度の練習、つまりテンポも楽譜指定近くにランクアップし、しかも表情豊かに練習する必要があるか、音で示しながら執拗に述べております。
けれども、前者は生徒の情報漏洩部分も出てきますし、後者は長大すぎて、とてもそのままアップロード出来ません。
いずれ、本の流れに沿うように私の説明と試演のみをテーマごとにコンパクトに編集し、それからアップロードしたいと思います。
可成り時間を要しそうです。暫くお待ちください。



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