第VI章
ペダリング


記載/2014年5月10日

★舞曲のペダリング(第171ページ 4. 三拍子のペダル)
つまり「ワルツのペダリング」ですが、随分長く「我が家の勉強会」に於いて扱っているなぁ…と記録を調べたところ、去年の11月から、少しずつレベルアップさせながら延々続いております。おそらく今年いっぱい続くことでしょう。いや、本当にその位難しいのです。海外の大ピアニストであっても(演奏スタイルにマッチしていれば構わないとしても)、最近の若者はワルツとは縁遠い生活なのでしょうか…。

勿論勉強会ではワルツばかりを扱っている訳ではないのですが、4月の12日と26日、二組に分けて行った勉強会のレジュメをここにコピーして更なるワルツの説明と雑談に替えます。(Op.18は本来第VIII章に入れるべきところ、細かなペダリングはこのレジュメには書いていないため、まとめてコピーペーストしてしまいます)

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《 2014年4月12日及び26日 勉強会 》

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《本番を控えた方々の一発勝負》

− 本番が近い順で −
12日
春のメドレー : ピアノ編曲 小原孝
うぐいす(井上武士 )- 早春賦 (中田章) - どこかで春が (草川信) - 春がきた (岡野貞一) - 春の小川 (岡野貞一) - さくらさくら (日本古謡) - 花 (滝廉太郎) - 朧月夜 (岡野貞一)

D. スカルラッティ:ソナタ cis-moll K.247/ L.256 ※1 
C. ドビュッシー:夢(Rêverie)

26日
R. シューマン:子供の情景Op. 15 全曲 第1曲 Von fremden Ländern und Menschen, 第2曲 Kuriose Geschichte, 第3曲 Hasche-Mann, 第4曲 Bittendes Kind, 第5曲 Glückes genug, 第6曲 Wichtige Begebenheit, 第7曲Träumerei, 第8曲 Am Kamin, 第9曲 Ritter vom Steckenpferd, 第10曲 Fast zu ernst, 第11曲 Fürchtenmachen, 第12曲 Kind im Einschlummern, 第13曲 Der Dichter spricht

D. スカルラッティ:ソナタcis-moll K.247/ L.256 
C. ドビュッシー:夢(Rêverie)


※ 1:「K」はKirkpatrickにより編纂された番号、「L」はLongoによるものです。

《心を表現するためのタッチ・テクニック、そのための練習方法》
メールでお送りしたように、互いの観察の機会として、お一人15分から20分で「練習のワンセット」のように、ご自身が練習なさっている「理由と方法※2」を口頭で説明の上、披露してください。(詳細は記載すべきではないので割愛)
※2「やみくもに練習する」ということも、年齢に関わらず必要です。特にチェルニー60番練習曲は、どのような音型であろうとも、ひたすらどの指も均等に!とトレーニングされるべきです。ハノンも然り。けれどもハノンになりますと、そのような練習の後には「曲の一部である」と思って、様々なタッチ、イントネーションでも練習すべきです。音階やアルペッジョであっても、です。更に「曲」「作品」については「何を表現したいのか?」細部に至るまで構想を練ることです。直感でも構いませんし、譜面を見る前から「表現への憧れ」があれば一番です。(勿論その後で更なる吟味は必要です)

《 ショパン ワルツcis-moll Op.64/2  》
 注釈を入れた楽譜もお配りしましたし、勉強会のみならず個人レッスンでも既に扱っていますから、今回はここに説明を加えることは何もありません。
念押しのみ:勿論「ワルツのペダリングのための練習曲」として扱っていますが、それ以前に「ワルツをどのように弾くか」ということ。左手の弾き方は勿論です。それと、「それぞれの箇所にどのような気持ちを持ち、それを表現するか」ということです。
 今日はお一人ずつ通奏なさってください。

《 ショパン ワルツEs-dur Op.18 》
 ヨハン・シュトラウス並の大ワルツになります。とても1回2回では扱えません。譜面への書き込みをお配りの上、何回かの勉強会で丁寧に扱って行きたいと思います。相変わらずの走り書き、判読不明はご質問願います。
 今日は(譜面には印刷されていませんが、シュトラウス的に言えば)Intro.と第1ワルツ、そしてCodaを扱います。メインは「アーティキュレーションのためのタッチ」と「ペダリング」です。アーティキュレーションは踊りの表現そのものだと感じます。その「踊り」も心象風景の表現手段です。
 「タッチ」と言うと鵜呑みで指でのtouchをイメージされることが多いですが、腕、手首、手、指、又腕全体を操る背中の筋肉など、あらゆる身体の使い方です。Op.64/2で使ったタッチは勿論ですが、更に繊細なstaccatoのための【E】と【F】や、手首を支点とした【G】、肘を支点に投げる【H】、肩を支点に投げる【I】、指は鍵盤近く構えて腕全体を投げる【J】〜腕全体で柔らかく鍵盤を沈める【J】、鍵盤をはじく【Q】等の使い分けが物を言います。ペダリングは応用して更に細かく「耳で」使い分けます。(本の【H】のミスは、サイトで訂正します)
 「Codaがどこからか」ということについてですが、ヨーゼフ・ランナー〜シュトラウス・ファミリー〜シュランメル兄弟のワルツの楽譜に於いて「Coda」と書いてある箇所に倣います。つまりいくつかのワルツ(それぞれは二部形式か三部形式)を終えた後に、Codaのためのイントロを経て第1ワルツが再度始まります。そのCodaのイントロからを「曲全体のCoda」と扱うのが慣習となっています。ウィンナワルツをよく知らない音楽家は「あ〜だ、こ〜だ(それを「Coda」と私達は冷やかしていますが)」とアナリーゼしますが、ウィンナワルツに親しんでいれば何も考えることはありません。

※上記を半ば皮肉こ込めたように書いた時には全く気付かず、5月に生徒のレッスンをしていたある日、ヨハン・シュトラウス時代のコーダの話をし、加えて「ペダリングがひと昔前の踏み方ははね…」と、これ又、あたかも過去の大先生たちの教えを批判をするような説明をするにあたり、第240ページを開いたところ、大きなミスに気付きました!!(本の執筆から4年も経って気付くとは!)ミスの内容は「訂正その他」の項目に記します。

 甚だ興味深いのは、ショパン自身が1831年、ウィーンからワルシャワの両親に宛てた手紙の中に、「ぼくが滞在中これがヴィーンの粋だというようなものは1つも身につけられませんでした。たとえば、ぼくはワルツがうまくおどれません−−−これで万事おわかりでしょう。ぼくのひくものはみんなマズルカに聞こえるのです。……※3」と書いていることです。
ですからシュトラウス風のワルツは1曲に留め、しかもワルツそのものすら生前に出版したものは数曲のみ。マズルカは60曲も書いたというのに…ということが頷けます。勿論、性格的に華やかな社交界よりも、祖国に対する深い思い入れも相俟ってでしょう。
 ショパンが何でもマズルカになった、という…日本人の我々はマズルカにも何にもならない…けれどもこういう音源豊富な時代ですから「ワルツ」を目と耳で感じることが出来、それは逆にショパン大先生に教えて差し上げたいほど恵まれていることではないでしょうか。

 楽器に関しては、ウィーンで色々なメーカーのものを勧められ、「わがすばらしいグラーフ・ピアノを…※4」と書いています。パリに移ってからは「プレイエルのピアノは完全無欠だ。※5」です。
ここで又、当時の打鍵のメカニックとペダルの仕組み、それらによる響きを想像するのですが、更に「現代のピアノで演奏するには?」に行き着きます。決して現代ピアノで当時の楽器を再現するわけではありません。

上記※3~5の訳:©小松雄一郎


☆次回の勉強会予定:日時はいつものようにメールでお尋ねして決めます。一応5月〜6月に行いたいです。「本番のための一発勝負」「基礎」「ワルツ」の他、「練習中の曲の披露」に、今度こそ時間を取りたいと思います。

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(「基礎」を入れるとそれだけで莫大な時間がかかるため、それは個人レッスンで扱うことにし、次回は別な内容に予定変更)


記載/2014年4月7日

★舞曲のペダリング(第171ページ 4. 三拍子のペダル)

なかなかこれが難しいようです。
本には12種類に分けましたが、「いずれかに属す」ということではなく、中間どころ何種類にも及ぶと思います。
つまり踏む速度は大体同じでも、離す(上げる)時には「スパッと上げる」こともありますが、ふわりと上げる、つまりペダルに押し上げられるように上げる事が多いです。しかも曲のテンポにもより、どの位の時間をかけて離すのか(秒単位のこともあれば、ゼロコンマいくつ単位のこともあり)、問題はその辺りです。踏む深さ、離して行く時の深さ(寧ろ「浅さ」)も曲想と一致して感じられることが望ましいです。
本に挙げた12種類での練習は既に去年行ったのですが、「ゆっくり上げる」「ゆっくりペダルに押し上げられる」という辺りで曲想が左右されるので、まだまだ続けています(4月現在も)。
繰り返しになりますが、何よりも曲想が先にあって、その為のペダリングは?と工夫すべきです。
記載は4月ですが、2月に二組に分けて行った、生徒たちの勉強会のレジュメのコピーペーストで説明に替えます。
(名前など、情報漏洩の部分は削除)

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《 2014年2月16日及び23日 勉強会 》

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 この異常気象の冬も地球温暖化から来ているのでしょうか。昨年の夏の酷暑も凄まじいものでしたが、週末ごとの雪かきには参ってしまいます。
 先日予定していた2月2日は申し訳ありませんでした。14日の朝、電話で「雪の日の作業は規則で禁止されている」というエアコン業者に、「注文したのは4日。仕事部屋なので、これ以上は待てない」と、雪が積もる前に設置をして貰え、やっと暖かい部屋が戻ってきました。設置前は「これが普通だ」と昔を偲んだ筈が…

 オリンピックをご覧のことと思います。競技や関連番組を見るにつけ、「練習に於ける本人の創意工夫と試行錯誤の大切さ」への思いを新たにします。「コーチが悪い」「教わっていない」「考えたことがない」と思う人は特に、その時点で予選落ち。これは楽器演奏も全く同じですね。但し「怪我」と無縁のピアノ演奏は本当に助かります。(ピアノ以前の生活で怪我ばかりしている私は問題外ですが…)
 ラージヒル2位の葛西紀明選手、先日彼の特別番組(解剖学的見地からの解析・トレーニング、実践への結びつけ方)を見て、この選手は何歳になってもメダルを狙える人だ、と思い、同時に己の怠惰さを恥じ入りました。
 プルシェンコ然り。息子が言うには「15年の競技人生で確か12回手術を受け、首から下はボルトだらけ、普通の痛み止めは効かず、ほぼ家畜用の強いもの服用、と聞いたことがある」。なるほど、検索してみたところ、どこが痛いかすら分からぬほど麻痺していても不思議はないようです。
 さて、本題・・・

本番を控えた曲の一発勝負
2月16日
F. Chopin
Préludes Op.28より第15曲 「雨だれ」(Regentropfen-Prélude) Des‐dur

2月23日
C. Debussy
Images I (映像第1集)より 第1曲 Reflets dans l’eau(水の反映)
Imges II (映像第2集)より 第3曲 Poissons d’or(金色の魚)

タッチの基礎

本日は【A】【B】【C】【D】を中心にハノンやピシュナ、他のタッチも加えてル・クッペイやブルクミュラー、チェルニーその他。
更に発展させて「練習中の作品」の部分を試演。お互いに目と耳で勉強いたしましょう。
全部の譜例は用意出来ませんでしたが、書き込み用としてもご自由にお使いください。質問も随時お願いします。

ペダリングの基礎
(必要があれば、本の第VI章の第169〜174ページを確認します)

《ワルツのペダリング - Chopin Op.64/2を使って- 》

「どのように弾きたいか」ということにかかってきますが、今回はショパンOp.64/2を「ワルツのペダリングのための練習曲」と割り切って扱います。曲そのものは、既に病状が悪化し始めていた1846〜47年に作られ、内容は陰鬱、中間部だけは対照的で、次々といにしえを回想するような部分。
具体的には、「A – B – C – B’− A – B”」の筋書きで、B、B’、B”それぞれのペダリング。お配りする譜例のような踏み方で変化を付け、「耳(曲想)と足を直結させるための練習曲」として扱います。本来の演奏では「こうあらねばならない」ということはありません。練習手段として、先ずは譜例のようにしました。手書きで判読不能かもしれませんが、下記を中心としたタッチです。

★ B前半:①と②の中間、と書きました。①でも構わないのですが、長く踏みっぱなしにしていると次の1拍目のペダルががすっぽ抜ける傾向あり、さりとて②の長さでバサッと上げるのは味がないです。やはり陰鬱なエレガントさも必要で「ふわり」という上げ方(離し方)が良い気がします。
★ B後半:pianissimoの効果を出すために、しかも、まださほどテンポアップしませんから③ではなく④で「ふわり」。
★ B’前半:ここにはpiù mossoが書かれているので、ペダルも前より短めに。但し、まだスパッと上げるペダルではなく、④と⑤の間の長さで「ふわり」。
★ B’後半:ここは更にテンポアップして構わないと思います。pianissimoですが、「staccatoではなく1拍目と2拍目が繋がらないように」という程度で。
★ B”前半:B’後半と同じか、少し短めか、テンポ次第で。
★ B”後半:これ以上は速く弾けない、という位テンポアップして構わないと思います。ペダルもバスのstaccatoの長さに揃えます。 ★ A部分とC部分は耳で聴きながら、「こう表現したい」という曲想と繋げて工夫してください。Op.64/1と対照的であることも念頭に置いてください。(参考までに一例を記入してみました)


《応用編 -Chopin Op.18を使って- 》

更に難しいOp.18(1833年作曲・1934年出版)に進みます。
Op.64/2でのペダリング練習を通じ、「テンポ、曲想、心など」と「足」を一体化させ、「ワルツらしさ」「メロディの歌心による揺れ」「バス音と後打ちのバランス」等も考慮し、曲想の変化に伴って踏み分ける工夫をしてください。

Op.18作曲当時のショパンは既にウィーンからパリに移住していましたが、ウィーンのJosef LannerやJohann Strauss I(一世)が築いたウィンナ・ワルツの形式で書かれています。
第1番と第2番は華やかな社交界を描いているのでしょうが、ショパンの性格には無理があったのでしょうか、ウィンナ・ワルツの形式を取っているのは第1番のみです。

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この勉強会の後で配布した更なるレジュメは、ペダリングではないので、別項目に改めます。


記載/2014年1月28日

★ペダリング全般
昨年11月17日の勉強会は、その前の続きになりました。
決してピリオド楽器演奏のためのペダリングではなく、当時の楽器を考慮した上で、現代の楽器でのペダリングをどのように工夫したらよいか、という続きです。
レジュメを貼り付けておきます(個人名は伏せます)。但し、いつものことながら5時間経過。とても全部は扱えずに…というブログはこちら

譜例は後日、全部は不可能ですが、必須部分だけアップロードします。→第8章に一部をアップロードしました(進行形です)

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《 2013年11月17日 勉強会 》

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先週に引き続き、ペダリングを書き込んだ譜例をお配りします。
その曲を演奏なさる方だけへのアドヴァイスではありません。過去に遡り、「こうした方が良いのでは?」と、いつも提案していた箇所なので、出席の皆さまが今後の参考になさって下されば、ということでお配りする次第です。
・ ショパンのバラード第3、4番、お渡しするだけでは誤解を招く箇所もあるので、説明も加えます。
・ ドビュッシーの譜例は、本に載せる譜例として4ページ目まで書き込んで添付で送り、ここ迄で充分使えるものがある、と終わらせたので、4ページ目までしかありません。
・ ベートーヴェン「Waldstein」第3楽章冒頭は、楽器によって踏み替えの深さは変わります。因みに第3ペダルは危険なので使わない前提です。何通りもの踏み方があると思いますが、今回は2通りだけ書き込みました。前回書いておきながらご覧頂くのを忘れてしまった「自筆譜」、第3楽章冒頭のみコピーしました(こっそり)。


*本番を控えた方たちの一発勝負の練習*
(いつもの様に本番が近い方から)
F. Chopin : Ballade Nr.3 As-dur Op.47

W. A. Mozart : Sonate C-dur KV 330より第1楽章

F. Chopin : Ballade Nr.4 f-moll Op.52


* 前回に続くペダリングの基礎*

前回は、まさに基礎中の基礎である「足のどの部分を使うか」に引き続き、ハーフペダル(厳密にはハーフのことは寧ろ稀ですが)のトレーニングとして「深さの練習」(第174ページの上の譜例)、「繋ぎのための浅いペダル」「ぼかすためのハーフペダル」「フワッと離す」等、古典派を中心に実践して頂きました。
今日も本とは順番が異なりますが、「3拍子に於けるペダリング」です。ペダリング以前に3拍子、特にワルツそのものを感じなくては始まりません。
そこで全員で分担し;
(1)バイエルから第80, 81, 82, 96, 97, 98, 100番等をペダルなしで
(2)次に、第VI章の4「舞曲のペダリング」の譜例(第171ページの①〜⑫)
(3)上記のバイエルを歯切れの良い曲と捉え、1拍目と同時に短く踏むペダル(⑦)を加える
(4)バイエルの冒頭のテンポは無視し、曲想の変化を敢えて付け(足そのもののトレーニングのためのみならず、曲想に足が即応するように)、上記①〜⑫や、必要に応じた繋ぎのペダルを混ぜてみる
(5)その後、第VIII章の11の中のショパンのワルツ、譜例部分の試演(全員)。それ以外の箇所も勿論歓迎です。質問もお願いします。
(6)8分の6拍子は本来8分の3を1拍とする2拍子ですが、その8分の3部分のペダリング。(折角なのでショパンのバラード第3、4番も例に。コピー譜の中の「ワルツのペダル」部分です

* モーツァルト: KV448 第3楽章*

但し今日はこの作品までも「ペダル」(深さ・浅さ・長さ・上げ方)を中心に扱います。
特に第3楽章は「ペダル使わずとも弾ける」速いテンポです。それでも使わない演奏はどこか乾いた響きとなります。さりとてやみくもに踏めるものでもありません。
現代ピアノの特性を作品に生かすためにも使いますが、第1ピアノと第2ピアノが同時に同じ音型でペダルを使う場合には、同じように踏むべきでしょうし、交互に同じ音型を弾く時にも互いに模倣をすべきでしょう。海外の著名なピアニストたちですら実行されている例の少なさ。じっくり腰を据えて2人で打ち合わせる時間が無いのか、大ピアニストが故に「個性」で許される問題なのか、それとも互いに聞こえないのか…

・ 今日は「深さ・浅さ・長さ・上げ方等」を、先ず***ちゃんに手伝って頂きながら検討します。勿論「どうしてその様に踏むか」という理由もある訳ですが、「これが絶対的に正しい」ということもありません。ごくオーソドックスな一例です。
・ テンポはどんなでも可ということで、最低限問題になる箇所だけでも全員に弾いて頂きたいと思います。 ・ 本来のテンポで弾ける方々は通奏

ご質問は随時お願いします。 

* 時代を問わず、ペダリングの確認*

・本番を控えた方々の曲中のペダリングもピックアップして
・ドビュッシー:「版画」より「雨の庭」
・ ベートーヴェン:ソナタ「ヴァルトシュタイン」第3楽章最初〜2ページ間のハーフペダルをメインに(譜例の通り、実際には「半分」ではありませんが)
・ ブルクミュラー:「天使の声」ふわりと上げる、徐々に上げる等
・その他、時間の許す限りどうぞ・・・

ペダリングは本当に多種多様で、本にするなら1冊あっても到底述べきれない内容だと思います。それを勉強会数回で、というのも至難の業。今後も会の時間の一部を充て、続けて行きたいと思います。
他の方のペダリングを耳で聴きながら観察することが一番分かる気がします。
お互いに勉強し合って参りましょう。

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記載/2013年11月02日

★6. 楽器の時代考証
「◆古典派後期」に「難しいのはベートーヴェンの時代です」と記載し、もっと詳しく述べねば!と思いつつ3年余りが過ぎました。
10月27日に行った「勉強会」で扱い、その折のレジュメよりピックアップします。
(内輪の気楽さに於ける文章、及び参加者の名前は削除にて)
口頭で述べたことや、指導内容は記録出来ていません。
1点最初に追記
第174ページの譜例を全員でまず実行。スリッパを脱いで足指(第1趾)だけで踏み換える実践。第1趾の付け根の関節がガクガクせぬように気を付けると、一番上のCまで殆どの方が可能でした。

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【本番のためのリハーサル】
C. Debussy:Préludes Premier livreより VIII La fille aux cheveux de lin(亜麻色の髪の乙女)
W.A.Mozart : Sonate KV 330 C-durより第1楽章

【今日のテーマ:ペダリング】

★ 第VI章の「3.ペダルを踏む目的」①〜⑤、及び「5.ペダルの離し方」①〜③の実践

[使うテキストとしての曲目]
ハイドン:ソナタHob.XVI:34 e-mollより
モーツァルト:ソナタKV 330 C-durより
モーツァルト:ソナタKV 333 B-durより
モーツァルト:ソナタKV 545 C-durより
モーツァルト:2台のためのソナタKV 448
ベートーヴェン:ソナタOp.53 C-dur「ヴァルトシュタイン」より
ブルクミュラー:25の練習曲集から第4曲「子供のパーティ」
ブルクミュラー:18の練習曲集から第1曲「ないしょばなし」
その他随時必要に応じて…
上記、お申し出のない方も実践してください。

踏み方の基礎は必要に応じて扱います。

ただし、「難しい」と皆さんが仰る「一番深く踏む」から「出来るだけ浅く踏む」の踏み分け、及び「ふわっと上げる(ペダルに押し上げられるように離す)」ことは(それも3台でどの位違うか)全員に実践して頂きます。
何の曲を使いましょうか…

その後、「踏み方の判断」が難しい古典派を今日はメインに扱います。

★ 第VI章の「6.楽器の時代考証」について

今回のテーマは「現代ピアノのペダルをどのように操作するか」です。
「ピリオド楽器(作曲当時の楽器)」、もしくは前後する古楽器演奏は、鍵盤楽器ではチェンバロ、クラヴィコード、各フォルテピアノそのものを使います。
考慮に入れる当時の事柄は多くありますが、現代のピアノを弾くからには現代のピアノの特性・利点をも生かすべきです。だからと言って、やみくもにペダルを使用することは避けなくてはいけません。当時、そのような響きや曲想は作曲家の頭の中には存在しなかったからです。

今日は「現代のピアノで、古典派の作品演奏に相応しいペダリングの工夫」をして頂きたいと思います。ひとつの提案として、それぞれの曲から数ページをピックアップし、書き込みもしましたが、あくまでも「提案」ですので、後でお配りします。

まずは、当時の作曲家の使うピアノペダルがどのようであったか、というところに戻ります。ここで、どの作曲家がどの時代に生きていたか、という知識も必要になります。どの国に、いつ、どのような環境で暮らしていたか、ということです。イギリス、フランス、現在のドイツやオーストリアでは、普及していた楽器に違いがあるからです。

今日の演奏は時代順に弾いて頂きますし、「ピアノと向きあう」の第178ページからの順番で扱いたいと思いましたが、バロック後期〜古典派初期の鍵盤楽器はチェンバロとクラヴィコードがメインで(オルガンは今回例外にします)、まずは「◆古典派後期 難しいのはベートーヴェンの時代です」と書いた辺りのピアノ出現辺りから、このプリントでは扱いたいと思います。クリストフォリ近辺は省略します。
音域に関しては、5オクターブから6オクターブ半のものが多かったですが、今回のテーマはペダリング(ペダル操作)ですから割愛します。本来「倍音」「音量」という意味で関連はあるのですが…。

《ベートーヴェンの使用したピアノ》
Ludwig van Beethoven:1770〜1827
(時代順に並べますが、とても全部は記せません)

ベートーヴェンが使用した楽器のペダルは、本(第178,179ページ)にも軽く書いた通り;
① 膝で押し上げる「Kniehebel(クニーヘーベル)」(「膝レバー」としておきます。「膝てこ」と訳されている本もあります)。
② 鍵盤周囲に付いているボタンを、オルガンやチェンバロのように操作するもの
③ 足で踏むもの
…と甚だ大雑把に分ければ3種類になります。

* シュタインJohann Andreas Stein(ドイツ・ボンにて)
初めて彼が弾いたピアノ(それまではチェンバロ、クラヴィコード、オルガンを弾いていた)。1787年にボンに到着した選帝侯ヴァルトシュタイン伯爵が贈呈。
ペダルは、ダンパーを押し上げる為の膝レバー。

* ヴァルター Anton Walter(1792年ウィーンに移住してから)
ベートーヴェン二重弦のものと三重弦のものがあり、膝レバーの他に、鍵盤の前にソルディーノ・ストップが付いていました。ただし、これは現代のアップライト・ピアノの真ん中のペダルのように、操作によりハンマーと弦の間に薄い布や皮が押し出されて弱音にするしくみです。

* シュタイン姉弟(シュタインの娘のナネッテ・シュトライヒャーNannette Streicher及びシュタインの息子Matthäus Andreas Stein)によるピアノ(1797製)
1796年11月19日にベートーヴェンがシュトライヒャーに宛てた手紙によると「音が余りに良すぎて、自分自身の音を作る自由を奪う」と書いています。ヴァルターほどの響きの大きさは持たないですが、音の均衡、純粋さ、響きの持続、優美さ、柔軟さ、音の融和等に於いて勝り、軽い手の動きと柔軟なタッチと感性に富んだ心を要求する、と述べられています。
二重弦でダンパーペダルとしての膝レバーあり、ソルディーノ・ストップは無し。

* シャンツJohann Schantz(18世紀末)
ヴァルターより小さめで、軽く婦人向き且つ家庭向き。高音が長2度拡大。(後にペダルも変化)

◎ ここ迄はWiener Mechanik(ウィーン式アクション・ウィーンメカ)、以降はEnglische Mechanik(イギリス式アクション・イギリスメカ) 但し、突然変わった訳ではありませんし、楽器も改良が繰り返されます。

* エラールSébastien Érard(フランス) 1796年以降、現代のアクションに近いEnglische Mechanik(イギリス式アクション)を採用。二重エスケープメントにより、連打が可能。弦も3弦張。ペダルも足を使用。4本あり、1つはVerschiebung(フェアシーブング)(shift)という、現代のソフトペダルのように鍵盤全体を左右に移動させることによる弱音ペダル。(Op.106に使用を求めている箇所もありますが、現代のピアノでは不可能です。ハンマーフェルトの弦の跡の有無で音色や音量に差が出る訳ですから。再度後述)
1803年にエラールがベートーヴェンに贈呈し、初めて足によるダンパーペダルを使用。
このピアノにより、ピアノ作品への創作意欲が湧き、Op.53(ヴァルトシュタイン・ソナタ)を書き、その後のOp.57(熱情ソナタ)を書いたそうです。初めてPed.の印があり、離す箇所には手稿では「*」ではなく「○」が書かれています(手稿をお見せします)。
けれどもベートーヴェンのタッチに何度も修理するハメになり(カプセルと称する部品が外れる)、ベートーヴェン自身も暫くピアノ作品から離れました。

* シュトライヒャー&ナネッテ夫妻(1810年頃)
イギリスとフランスのアクションにウィーンのアクション、それぞれの長所を取り混ぜて、つまりイギリスやフランスの音響をウィーンのアクションで作る。1810年までに成功。

* ケニッケJohann Jakob Könnicke(1810年頃)
4つの膝レバー

* ブロートマンJoseph Brodmann(1812製及び1815製)
いずれも4本ペダル。Op.81aやOp.73「皇帝」は、この楽器により作曲されました。

* ブロードウッドJohn Broadwood & Sons(ロンドン)
1817年製を1818年以降使用。足による2本ペダル。

* その後のシュトライヒャー(1819製)
4本ペダルあり。Verschiebungでの弱音ペダルを使用してOp.101,106(ハンマークラヴィアソナタ)を書いています。「una corda – due corda – tutte corda」の指示を出していますが、前述の通り現代のピアノでは不可能。
Op.109以降は聴力の衰退が著しく、シュタイン製の集音器をピアノの上に置いての作曲となります。

* グラーフConrad Graf
5本ペダル。1825年に貸与されましたが、生憎完全に聴力を失っていました。

この辺りで1点、学者たち(研究者?)による長期にわたる問題があります。
音域がそれぞれ違うことから、どの楽器でベートーヴェンは作曲・演奏したのだろうか?という点。これは大切なことだと思います。高音域がある(fisやg)から、ダンパー用の膝レバーのある楽器で作曲したのだろう、といった推測です。ただ、ベートーヴェンが知る他の楽器の音色や操作を全く無視した訳ではないのでは?と私は思います。

膝レバーを用いる指示は「senza sordini – con sordini」。複数形は、当時のダンパーが高音と低音とに分かれていたからですが、ベートーヴェンは「sordino」と常に単数形を使っています。これが左右に分かれない、中央にあるダンパー操作を意味するのか、ソルディーノ・ストップ(布や皮による弱音操作)を意味するのか混乱を来しています(現在は「ダンパーペダル」という解釈に落ち着いているようですが、100%納得の行くものでもありません…ベートーヴェンに訊くしかない…)。
ベートーヴェンのOp.22(1800年)まではダンパー記号がありません。初期のソナタに低音を数小節保持して、高音はパッセージを弾く、というような箇所は、低音の膝レバーだけを使っていたのではないか?という推測もあります。Op.26(1800〜1801年)で初めて上記のsordiniの記載が出ます。ベートーヴェンは常に単数形でsordinoと記載していたとは言え。勿論、まだチェンバロやクラヴィコードで弾くことのあった時代です。

ダンパーにはドイツ語の単語「Dämpfer」(消音。車のマフラーにも使います)が、イタリア語ではsordino, 英語ではピアノのdamper, 弦・管楽器のmuteの意味があります。もう1つ、現代のピアノのように、打鍵と同時に、或いは右のペダルを踏んだと同時に弦から離れ、鍵盤を戻す、又は右ペダルを離すと当時に弦に触れて音を消す、という両方の意味を持ちます。
私の勝手な推測ではあるのですが、今ではダンパーペダル、と言えば右のペダル。倍音も使え、沢山の音を一度に鳴り響かせる機能から、「大音量に出来るペダル」という結果となり、この辺りから混乱が生じているのではないか?現代のピアノで言えば、ダンパーを上げれば(つまり右ペダルを使えば)音量が豊かになり、ダンパーを下げれば(つまり右ペダルを戻せば)音が消えるのですが、古楽器では本来の意味で考えねばなりません。とは言え、混乱していた時期はかつては確実にあります。
そのことも兼ね、ベートーヴェンが生きていた当時の節目にあたる、と言いますか、顕著な例としての作品について記しておきます。

◎Op.27/2「月光ソナタ」(1802)の第1楽章。
冒頭大譜表上に「Si deve suonare tutto questo pezzo delicattimamente e senza sorudino*」と書かれ、譜表五線の間にも「sempre pp e senza sordino」と書かれています。ヘンレ版での*は、「Das heißt:Dieses ganze Stück muß sehr zart und mit Pedal gespielt werden.」、ウィーン原典版では「この作品(楽章)全体は非常に柔らかく、ダンパーなしで弾かれる。つまり右ペダルを踏んで弾かれる」と好ましい和訳も書かれています。このダンパーはDämpferつまりsordinoを意味しているのか、現代の右ペダルを意味しているのか、解釈の分かれるところです。
ただ、ベートーヴェンの記載は、明らかに当時使用していた楽器に於いて、です。おそらく「シャンツ」のピアノを使って当時は書いた筈です。
現代のピアノで考えれば「ppだが弱音ペダルは使わずに」ということにもなり、ベートーヴェンの弟子であるチェルニー(1791年-1857年)がソナタの奏法の本で「Das vorgezeichnete Pedal ist jeder Bassnote von Neuen zu nehmen.」(ペダルの指示は、バスの度に新しく踏み換える)と説明を書いていることは、明らかに余りに種類豊富なペダルが混在したことによるアドヴァイス、との解釈も出来ます。ほんの数十年後に、です。
様々な研究者により討論がなされ、今では「音を消すダンパーを使わず」つまり現代のピアノで言えば右ペダルを踏んだまま弾く、ということになっているようです。
それはそれで解決が着くのですが、もう1点、専門の研究者には「mit Pedal」を「Dieses ganze Stück(曲全体)」にまでかけて「終始(まさに!)ダンパーペダルを踏んだまま全曲を」という解釈があるのです。ただ、これはフォルテピアノ(古楽器の総称)であれば不可能ではないかもしれませんが、違和感のない演奏に出会ったことはありません(私自身の耳が慣れていないだけかもしれませんが)。まして現代のピアノでは不可能。実現させるには、上から3分の1位を踏んだ位置を「定位置」とし、その深さ(浅さ)までだけ踏み続ける……??ただ、ここでもチェルニー(ベートーヴェンの弟子で、既に今で言うダンパーペダルが存在した時代に活動したピアニスト・ピアノ教師)が、前述のように、わざわざ「ペダルの指示は、バスの度に新しく踏み換える」と書いたことには意味があると思います。
この「月光」ソナタでは、ドビュッシーのようなざわついた音を当時のピアノの膝レバーで表現したかったのだろう、ということになると思います。けれどもペダルの開発と共に、踏みっぱなしでは濁りすぎるようになり、チェルニーの意見に至ったのでしょう。
フォルテピアノはどの楽器でもチェンバロとピアノの中間のような音色(差こそあれ)、それはハンマーが今のようなフェルトではなく、布や動物の皮革を使っていたこともあります。現代の音色とは「全く別な楽器を奏する」と思うのが無難です。

◎ Op.53「ヴァルトシュタイン・ソナタ」(1803〜04) ベートーヴェンは「エラール」によるピアノを体験し、初めて足によるペダルを知り、早速この作品に導入しました。
ただ、自筆譜によれば踏むマークは「Ped.」ですが離すマークは「○」です(我が家の自筆譜をご覧ください)。
ベートーヴェンに関する文献によると「○」なのですが、私には「O」か「0」に見えます。「ohne(withoutの意)」の「O」か、はたまたゼロか…(ただの丸ではない気がします)
まだ様々なピアノが混在した頃です。少し前のOp.35(エロイカ・ヴァリエーション)では、「注:Ped.がある箇所では低音と高音の両ダンパーを押し上げる。○はダンパーを元に戻すことを意味する」と書いています。つまり高音のダンパーと低音のダンパーが分かれていた楽器で作曲したことを意味します。
今の時代には不要な注釈です。ただ、完全に無視することも出来ません。今のペダルほど効果のない楽器です。第3楽章では2つに分かれた低音部のペダルは、現代のソステヌートペダルの役割をなしていたかもしれません。
足によるペダルといっても、現代の様に効果がある訳でもなく、一番深く踏んでも、現代の3分の1くらい浅い、と思っていたらよいのではないかと思います。
まして膝レバーでのペダルは「音をぼかす」ような効果はあっても、細かく押し換えたり、細かい音を繋げるためのハーフペダルは不可能でした。

◎ Op.106「ハンマークラヴィア・ソナタ」(及びOp.101)
1816年から17年、ベートーヴェンの家には2台のピアノがあり、片方はシュトライヒャーから借りていたものです。6オクターブ半から7オクターブの音域に、5つのペダルがあり、その1つはVerschiebung(シフト)で、「una corda→due corda→tutte le corda」にずらすことの出来るものです。ハンマークラヴィアソナタの第1〜3楽章はこのピアノを使って書き、第4楽章(膨大な煌びやかな音色のフーガ)は、ロンドンの友人から送られた「ブロードウッド」のピアノで作曲しています。
又してもピアノ作品を書く意欲が湧いたベートーヴェンでしたが、いよいよ聴力の衰えには勝てなくなった、というのがこの辺りです。

上記、大変長くなりましたが、私が第179ページに「当時新しい試作品ができれば、作曲家がその楽器に相応しい…云々…」と記したことへの追加説明でした。

再三ながら大切なことは、当時の楽器を知った上で、現代のピアノでどの様にペダルを工夫して使うか、ということに行き着きます。

又、ピアノという楽器だけではなく、オーケストラや歌曲、室内楽でのベートーヴェンの表現から、「これをピアノという楽器で表現したなら?」と現代の楽器での可能性を追究することも大切だと思います。作曲されたベートーヴェンの環境なども加味して、です。 ピリオド楽器(今日の場合はフォルテピアノ)の模倣はピリオド楽器で演奏すれば済む訳で、現代のピアノで演奏する時には、---勿論ペダリングのスタイルがロマン派以降のようになっては困りますが、現代の楽器での匙加減が大切です。バッハだから、と全くペダルを使用しなければ、勿体ないほど味気ない演奏になります(オルガンでのポリフォニーをイメージしていることもあるからです)。

時代を遡りますが;
《ハイドンとモーツァルト》
(チェンバロとクラヴィコードも使用していましたが説明は割愛。ピアノについてだけ簡潔に留めます。上記のどのピアノが存在した時代か、ご参照ください)

ヨーゼフ・ハイドン(1732~1809)は、シュテファンス教会の聖歌隊員として8歳で上京(ウィーンのことです)。ヴァイオリンとチェンバロを習いました。1778年位まではチェンバロやクラヴィコード(=クラヴィチェンバロ)がメインで、ソナタなどもそれらで作曲していた筈です。1778 年以後の出版譜では「クラヴサンまたはピアノフォルテ」「クラヴィチェンバロまたはフォルテピアノ」「ピアノフォルテまたはハープシコード」のように2つの楽器名が書かれているそうですが、出版社が1 冊でも多くの楽譜を売るため、という意図のようです。
1783 年にロンドンのバードモア・アンド・バーチャル社から出版された曲集は、作曲年代の異なる 3 曲(Hob. XVI: 43、33、34)から成り、最初の 2 曲は1771~73 年頃の作品で、その筆写譜には「クラヴィチェンバロ」という楽器名が記されています。そして最後の1曲(本日も扱う34)は1780年代のはじめ頃の作品とされています。イギリスで出版されたこの楽譜の楽器名は「ピアノフォルテまたはハープシコード」ですが、当時のロンドンではすでにスクウェア・ピアノが普及していたので、このようにピアノフォルテを先に出すタイトルがつけられたのであって、特別なものではありません。
1788 年に、ハイドンはシャンツのスクウェア・ピアノを入手しました。F1-f3 の 5 オクターヴの音域をもち、「ダンパー」と「弱音装置」を操作する膝レバーが付いています。ハイドンがシャンツの楽器を高く評価していたことは、1790 年6 月20 日付と7 月4 日付のマリアンネ・フォン・ゲンツィンガー夫人に宛てた手紙から読み取ることができます。
跳ね上げ式アクションをもった軽くて弾力的なWiener Mechanikを持つフォルテピアノは、歌うような旋律に適していて、且つ繊細な装飾音をくっきりと演奏することが出来、それまで強弱記号の存在はなかったチェンバロを弾いていたのですから、シャンツというピアノになり、以降の作品にはハイドンは強弱記号を(それ以降の作曲家に比べれば少ないですが)書き込み、豊かな感情表現を要求してきます。
エスターハーザでの最後のソナタHob.XVI:52 Es-durのソナタは現代のピアノでも弾き応えがあります。
エスターハーザを去った後ウィーンに移り住み、それからはロンドンのブロードウッド(もちろんEnglische Mechanik)を使い、力強い音を沢山使うようになりました。
当時としては長命なハイドンですから、ソナタの一覧などで、作曲された年代を見比べるのも興味深いことです。

W.A.モーツァルト(1756~1791)はベートーヴェン同様、ウィーンではピアニストとしてヴァルターのピアノを愛用しました。勿論ペダルは膝レバーによるものです。布が弦とハンマーの間に押し出されるしくみのソルディーノ・ストップ(弱音ペダル)も付いています。
その上京(ウィーンへ)前のザルツブルクでは、シュタインのピアノを使い、ダンパーがよく利き、指を鍵盤上に残しておこうが鍵盤から上げようが、鳴らした瞬間にその音が消えることを長所として述べています。その反応が良かったのは、エスケープメント(Auslösung)がつけられていたからでした。エスケープメントは、ハンマーが弦を打った瞬間に素早く元の位置に戻るための装置のことで、この装置は、クリストフォリの楽器にも工夫が見られますが、1770年代になっても、この装置が備えた楽器はまだ少なかったことがモーツァルトの手紙から窺えます。
やがてヴァルターのピアノを使うようになりました。
1785年にウィーンを訪れたレオポルト(父親)は、息子がヴァルターのピアノを持っていて、バスを鳴らすために足鍵盤(オルガンのように)を取り付けて弾いていたことを書いています。モーツァルトがこの楽器を手に入れたのはその前だったことになります(その楽器は現存し、ザルツブルクのモーツァルト博物館に保存されています。足鍵盤はありません)。同じヴァルターも時代によって音域やペダルのしくみを試行錯誤の上、変化させたことが窺えます。

この3人の、ピアノ以外の作品から音のイメージはある程度は湧きます。ただ、オーケストラも古楽器による時代。ピアノほどではないにせよ、現代の響きではありませんね。ただ、要求する表現は声楽であれば、ハイドンはオラトリオや合唱に対し、モーツァルトはオペラやアリア、歌曲。

当時の楽器、演奏会場、なども加味し、作曲家によってペダリングを工夫することは欠かせません。
具体的な工夫は別プリント(譜例)数ページずつの書き込みを参考になさってください。

余談:ベーゼンドルファー
更に後の時代になりますが、1909年にWiener Mechanikを廃止しています。
なお、私のベーゼンドルファーは1917年製、1975年の入手当時はハーフイングリッシュでした。見つけたピアノ技師が綿密な製図を作り、現代のイングリッシュメカに入れ直したものです。それでも現代のフルコン、もしくはインペリアルのペダルよりは効果が薄かったものです。外見をご覧になればお分かりの通りです(現在は更なるオーバーホールにより、ほぼ現代のベーゼンドルファーに近く機能しています)。
モデル290インペリアルは、最低音を長6度低いCまで9鍵拡張して97鍵あります。イタリアの作曲家でピアニストでもあったブゾーニの要望によるもので、8オクターブの音域は、バルトーク、ドビュッシー、ラヴェルなど、彼らが意図した響きを忠実に再現することを可能にしました。響板材として最適とされる木材をボディに使用することで、ベーゼンドルファー特有の、オーケストラを思わせる色彩豊かな力強い音色を醸し出します。
又、私のYAMAHAの中身が全てベーゼンドルファーの部品であることはお話ししていますが、ハンマーはレンナーのものを使用し、幅広。このことで打鍵がとても楽に感じるのです。

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記載/2013年11月02日

6. 楽器の時代考証
◆バロック時代 及び ◆古典派初期

ペダルの話に留まっていないのですが、鍵盤楽器の変遷、ということで以前記した日記(ブログ)を貼り付けます。

鍵盤楽器の変遷・種類 - 2009.09.24 Thu

連絡に使うとは…(譜例画像追加) - 2009.09.26 Sat

Leipzig Grassi楽器博物館 - 2009.09.06 Sun

純正オルガンの歴史(娘の文章です) - 2009.10.16 Fri

◆後期古典派

今では楽器博物館で、お願いすれば試弾も可能になっている場所もあり、海外のみならず日本でも素晴らしい博物館や大学の設備も出来ました。
カラー写真や、当時の楽器を使っての演奏CDの付いた書籍も出版されているようです。是非それらをお読みになることをお薦め致します。

下は、私が留学していた当時のベートーヴェンハウスのひとつ(「ひとつ」というのは、ベートーヴェンは喧嘩っ早くて家主と口論になっては引っ越した、という逸話もあるほど「ベートーヴェンハウス」はいくつもあります。勿論ボンにもあります…)、Pasqualatishaus(ウィーン・1区)です。
1976年、夏の講習会でお世話になったスタニスラフ・ネイガウスを数名で街を案内した折の写真です。日本のフィルムではない上、40年近く放置、劣化が激しいのですが…ネイガウス教授の試弾すら許されず、鍵盤の上にガラスが覆われているのはご覧になれますでしょうか?楽器は「シュトライヒャー工房」のものだと思います。

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一旦ここで送信します。

記載/2013年10月30日

1. ペダルの種類
「第3ペダル」の他の例です。

ショパン「ファンタジー」Op.49、第321小節の右手の拍に入らない旋律を自由に弾きたい場合、しかもペダルでぼかしたい場合の一例です。

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赤く囲った最後の音で、先に第3ペダルを上げてしまうと、楽器によってはペダルの操作音が鳴ってしまうことがあります。
それを避けることも出来る使い方です。

ペダルと言えば、車のペダルに似ている部分もあります。
つまりピアノの第1ペダルは車のアクセルペダル。やはり踵は床に付けたまま、指先を常にペダルの上に置き、或いは押さえたままにし、指先で微妙な速度調整が出来ます。足裏全体で踏んでしまっては突然速度オーバーしてしまいます。
それに対し、ピアノの第2ペダルは車のブレーキペダル。足指ではなく、踵も床から離し、指と土踏まずの間の平らな部分で踏みますね?そうでないとブレーキをかけ損じ、事故にもなりかねません。
ピアノの第3ペダルは、マニュアル車のクラッチ操作にも似ています。
左足でクラッチペダルを下まで踏み、戻してくるタイミング(半クラッチ)の問題です。

記載/2013年10月21日

3. ペダルを踏む目的
⑤ フィンガーペダル(第169ページ)、及び第176ページの「◆バスを含めたいくつかの音を残したい場合」の「フィンガーペダル」

第177ページの譜例の通りです。
足によるペダルではなく、手の指(主に左手)を押さえておくことでのペダル効果を意味します。
バスは残しておきたい、低音のいくつかを残しておきたい、けれどもペダルを踏むと右手が濁ってしまう、そういう場合の「妥協策」とも言えます。


随分前になりますが、どなたかのリサイタルのプログラムの中に、「『足指で踏むことをフィンガーペダルと呼ぶ』といった解説が書かれていたが、どう解釈したらよいだろう?」との質問を頂きました。
ダンパー(ラウド)ペダルはそもそも第1指(正しくは第1趾)で踏むのです。これは第165ページから「2.ペダルの踏み方」に於いて、理由と共に詳しく述べた通りです。(因みに足指のことはドイツ語でZeheと言い、英語ではfingerと言うのかもしれませんが正しくはtoeではないか?と…)

我が恩師でもある、故・ディヒラー教授の著書、「ピアノ演奏法の芸術的完成」(音楽之友社)の中にも「フィンガーペダル」に関して同様のことが記されています(第2章/第2項「ペダル」)。和訳での第一刷は昭和32年。
この大元の本のタイトルは、「Der Weg zum künstlerischen Klavierspiel」(直訳すると「芸術的ピアノ演奏への道」)で、Vorwort zur 1. Auflage(第一刷への前書き)は1947年1月、Vorwort zur 2. Auflageは1963年5月となっています。
ここで述べようとしたのは、敗戦後間もないころ、既にディヒラー教授はこの本を出版され(つまり文章を書かれていたのは戦中、戦前ということでしょう…)、その中で「フィンガーペダル」に触れておられること(第42ページからの「2. Abschnitt:Pedale」)。
該当部分の原語は「...das "Fingerpedal", wie man es nennen könnte.」と書かれ、訳本では「指によるペダルとでも名づけうるものである」と書かれています。勿論「手の指」です。まだ「Fingerpedal」の単語が広まる前のことで、今では「指によるペダルとでも名づける」は不要で、カタカナでの「フィンガーペダル」で充分です。
説明に於いて「ピアノと向きあう」が不充分の折には、Dr.Dichlerによる著書のその部分もご参考になさってください。より多くの譜例と共に詳しい解説がなされています。

最終的には、無意識のうちに行っていることが多いと思いますし、そうあるべきです。











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