第VIII章
作品を仕上げるための隠し味



この章が最も「音を伴わないと理解が出来ない」章のようです。
いずれ実演の場を作りたいと思うまま日々が過ぎます。お待ちくださいますよう。


記載/2014年01月29日

11. ペダリング

音を伴わない説明はナンセンスとも思いつつ、お役に立てば幸いです。

ショパンのバラード第4番より。
現代ピアノのペダリングは、「踏むか踏まないか」「スパッと下げてスパッと上げる」だけではありません。折角指で表現していても邪魔になることがあります。深さ、浅さもですが、フワッと浮かすような離し方も物を言います。
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ショパンのバラード第4番より。8分の6拍子ではありますが、「8分の3」×2の、3拍子部分です。第6章「4.舞曲のペダリング」に挙げた種類は、単に種類分けして足に馴染ませるための12種類ですが、この中の⑪と⑫を混ぜると曲中のこの部分が映える気がします。
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ショパンのバラード第3番より(順不同)。「レガートのためのペダル」と「音を切るペダル(ぼかすようにではありますが)」を交互に使う例です。右手のアーティキュレーションを活かす為の区別です。
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ショパンのバラード第3番より。第6章「4.舞曲のペダリング」に挙げた種類は、単に種類分けして足に馴染ませるための12種類ですが、リズミカルな3拍子の表現には⑫がお薦めです。しかも2小節ずつ交互に「リズミカル」「メロディック」とコントラストを付ける箇所です。
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ショパンのバラード第3番より。楽譜に印刷された(ショパンが記入した)ペダリングは、ショパンが使用していた楽器でのペダリング、しかも当時は(いや、現代もですが)厳密に書く習慣はありませんでしたし、ペダリングというものは演奏スタイルによって甚だ違います。例えばレッスンの折に生徒の楽譜に書こうとしても、私なら、という書き方で、その通りに生徒が違和感なく踏める、とも限りません。それ以前に、自分が踏んでいる通りに書くことは至難の業です。印刷のペダリングは「ペダルを使って構わない」にとどめ、「自分なら」と記入していくしかありません。ショパンに限りませんが。
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ベートーヴェンOp.53終楽章より
色々な踏み方があるでしょうが、2つ例に挙げます。
画像が不鮮明ですが、①は、第2楽章最後の音で踏んだペダルを半分位の深さに浮かせ、その深さを覚えておいて第3楽章に進みます。バス音は深く踏んだとしてもすぐに半分位の深さ(=浅さ)に足を浮かせて、左手の交差するメロディの動きが朦朧とならないように、ほんの浅く浮かせる(「上げる」ではなく「浮かせる」イメージです)。②は、上から3分の1くらいの深さに踏み、メロディラインが動いても踏みっぱなしにする、というものです。楽器によってもペダルは違いますから、こうでなくてはいけない、ということはありません。
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記載 / 2013年09月06日

12. 歌と音程
本では触れませんでしたが、ピアノ以外の曲であっても引用すると分かり易い曲が多いです。

次の写真(音楽之友社版のスコアを使わせて頂きました)は何の曲でしょうか?

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これが再現する部分では下のように記譜されています。

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これなら分かりますね。
答えは、チャイコフスキーのシンフォニー「悲愴」の第4楽章!

どうして上の譜例のように記されたのか?
チャイコフスキーの病的面、と言われる以外は、本も調べず、ネット検索もせず、私の単なる考えなのですが・・・
音程が飛ぶことで「悲愴感」を表したかったのではないか?
生徒たちの集まりの場で、パート分けして上の譜面で歌って欲しい、と思いつつ他のテーマで手一杯…未だに叶っていません。
ここをお読みの方で、興味を持たれる方は是非四部合唱でお試し下さい。上の譜面(第4楽章冒頭)では、とても音程を取ることにエネルギーを要するはずです。それに対して、下は音階ですから(臨時記号はあっても)音程を取ることは容易いです。
チャイコフスキーの文献を調べれば出るのかもしれませんが、「音程が取りにくい」ということは「エネルギーを要する」、つまり音程を上下することで、それも大変取りにくい音程により(短音程、減音程、更に重減音程)、繰り返しになりますが、悲愴感を出したかったのではないでしょうか。


日付は敢えて降順・昇順を替えました。
記載 / 2013年10月13日
12. 歌と音程

前のチャイコフスキー「悲愴」終楽章冒頭について、指揮者に訊いてみたら明確になるのではないか?と気付き、我が家と家族ぐるみでお付き合いのある、某指揮者に電話で尋ねました。
要約しますと…
まずは、当時のオーケストラの配置を考えること。今は指揮者から向かって左側に第1ヴァイオリン、その奥に第2ヴァイオリンと並ぶが、チャイコフスキー活躍当時はそうではなかった、とのこと。指揮者から向かって左側に第1ヴァイオリン、右側に(現在ではヴィオラ若しくはチェロが配置されている場所)第2ヴァイオリン、と向きあって配置されていたことが大きい。それも互いに平行進行で動くのではなく、ジグザグとした反行進行を向き合って奏でることで、より大きな表現ができたのだろう、という意見を伺いました。

トスカニーニが、第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンは隣り合わせの方が良い、と言い出すまでは、第1・第2ヴァイオリンは向き合っていた。しかもラジオにしてもレコードにしても、ステレオではなくモノラルの時代。だから左右がジグザグに聞こえることはなかった。

・・・推察できることは以上で、あとはチャイコフスキーに電話するなりメールするなりしてください、但しメールアドレスは知りません、とのことでありました:)
でも、勿論9月に書き込んだ通りの、ツラツラと下降する音程ではなく、長・短・増・減の音程を混ぜて上昇下降することで、より大きな動きをもたらしたことは勿論あり得る上で、とのことでした。




2005年11月27日と2006年2月4日に「ピアノ演奏の隠し味」とのタイトルで、レクチャーコンサートを行いました。
その時の音源を、生徒たちから逆輸入しました。
本の流れに沿った順で、その部分のみを音としてアップロードしたいと思います。
なかなか時間が取れません。暫くお待ちくださいませ。






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